2023年7月31日
青色LEDの発売発表
青色LED量産に向けて準備が整い、いよいよ1993年11月、発売発表の日を迎えます。発表と言ってもホテルの会議室を貸し切り、多数のマスコミに向けて発表会を行う、と言った様な煌びやかなものではなく、日本経済新聞社徳島支局の方に取材のお願いをした程度。加えて当時の日亜化学工業は世間ではまったく無名の会社。年に一度、「日本で一番夏休みの長い会社*1」という形で、新聞、週刊誌、テレビなどのメディアで紹介される程度でした。また、徳島の片田舎の従業員数百人の会社、それも化学(ケミカル)の会社ということで、画期的なLEDと発表するだけでは信じていただけない懸念がありました。
そのため、「従来よりも100倍明るい青色LEDを発売する」という革新的な発表が誇張ではない事をアピールする必要があり、
- 当日必ず点灯するサンプルを多数用意し、書類や写真を見せるだけで終わらない。
- 製品案内に使う写真は1個だけ点灯している写真ではなく、大量であること。
という点に注意し、準備が行われました。ロジック半導体などと比べ、光半導体であるLEDの説明は非常に分かりやすく、明るく光っているものを見てもらえればその価値は分かっていただきやすいため、「光っている」ものの準備が最優先されたのです。
一方、1993年当時のLED業界では、顧客の要望に細かく応じて仕様を決定するカスタム品として開発・受注するという会社も多くありましたが、青色LEDの販売においてはマーケティングを重視し、広い用途で必要とされる最適な仕様を検討したうえで、標準品での販売を行うと決定されました。
こうして、1000mcdの明るさを持つ日亜化学の青色LED量産品第1号「NLPB500」が発表され、弊社の会議室にお越しいただいた記者の方の取材を経て、本連載第1回の冒頭にある「青色LED、明るさ100倍」に繋がっていきます。(当時の最高の明るさを持つ他社青色LEDは10mcdでした。)
- *1 当時の弊社の主力製品であった蛍光体の焼成炉は高温になり、夏場の作業に不向きだったのと、年に1度火を止めてメンテナンスの必要がありました。また、社員に兼業稲作農家が多く、ちょうどお盆の時期には稲刈りが重なっていたため、夏季休業が約3週間取られていました。他にも社内では、地元の夏祭りやリオのカーニバルとも並び称せられる有名な「阿波踊り」がこの時期にあり社員が気もそぞろで仕事にならなかったとか、創業者が70歳を過ぎてからアフリカのキリマンジャロに登るような登山好きで、自分が長期の休みを取りたかったなどの理由も言われていますが、真偽の程は定かではありません。現在では当時よりも年間休日日数は増加している一方、社員数の増加もあり、約1週間~10日程度の夏季休暇となっています。
図1:当社初の量産LED「NLPB500」の製品案内
Note: NLPB500は当社型番です。